Chaser
アオシマ1/24スケールキット チェイサーHT2000SGS改造
自分でいうのもナンであるが、これは今現在では間違いなく、もしかすると生涯最高の作品といってもいいかも知れない。
製作は1995年。当時ブラブラしていたワタクシめは、作り始めたのが運のつき、持て余して発酵しつつあった暇を殆どすべてこれの製作に注いでいた。幸か不幸か時間はタップリあり、ネタがネタだけに熱もこもるというもの。
元のキットは年式違いの後期型ゆえにディティールがかなり異なるのだが、そこはそれこのクルマの資料は有り余るほどあったので、徹底的につつき回した。フロントグリルはワク以外は自作、バンパーも骨は流用したとはいえ大改造。付いてなかったアンテナも洋白線とプラバンで自作。各所のエンブレムやステッカー類はパソコンなんぞ持っていなかったので版下手書き→縮小コピー→プリントゴッコで作成、ウィンドゥ廻りのモールなど実車と全く同じ場所、同じ形状で分割してあったりする。タイヤに至っては実車が新車時に装着していたのと同じ銘柄(BS RD-106)…改めて自分で書き出してみても、よーやったわ、全く。
グリル周辺のアップ。
こっち側(左半身)はグリルの線のヨレがちょっと目立つ。
グリルの桟は今だったらエバーグリーンの細切りプラ板あたりでちゃんと箱組みにするところだろうが…
「EFI」のエンブレムはキットのグリルから切り取って使用。センターオーナメントは自作。
ヘッドランプはレンズが市販品。反射鏡はアルミテープをお椀状にしたもの。
ホルツのテープは生のアルミなのでアルミ板金の真似事ができて便利。
バンパーは前後とも童遊社(旧ヤマダ)のレオーネ用リヤバンパーを加工し、グリル同様アルミテープで包んである。
プロテクトモールは細切りカッティングシート。
アンテナ。
ちゃんとステー(というか支柱)のなかを貫通しているのだ。
ステッカー類。
リアウインドウ下端のステッカーは「53年排出ガス規制適合車」と書いてある(肉眼では何とか読める)。
リアトレー真ん中にあるのは、リヤシートを倒すためのレバー。
ウインドウモール類の切り継ぎ箇所も実車どおり。このあたりは普通メタルックやベアメタルを貼り込むのが一般的だが、
実物がステンレスということもあり、多少大味になるとはいえアルミテープの方が適役だと思う。
ホイールは最初は純正キャップの状態で作った。
とはいっても、LS製マークUグランデに付いていたキャップをリペイントして、センターマークを付けただけ。
実物とは形状が異なるのが気になって、後でアルミに付け替えてしまった。
(尤もそのままでも、「キャップの形状が違う」とツッ込みを入れられる人が何人いることやら。)
純正タイヤ(BS RD-106)はこれまたLSから出ていた「オプションパーツセット」に入っていたものを使用。
ホイールアーチモールもやはりアルミテープ。
リアビュー。
わざとストロボを焚いて撮ったのだが、テールランプ下段のリフレクターが反射しているのがお判りいただけるだろうか。
ここにはちゃんと反射テープ(自転車用品売り場で見かけるアレだ)を貼ってある。
暗い夜道での駐車もこれで安心だ。何が。
そして怒涛のディティールアップ攻勢は車内へ入るやますます暴走し、シートベルトにメーター類なんぞは当たり前、天井にはサンバイザーにルームランプが付き、ステアリングコラムからは合計5種類のスイッチが生え、インパネの下には発煙筒、そして遂に、シガーライターの先端にはあのタバコのマークが…(気違い沙汰だ)。
運転席側から。 暗くて見えないが、メーターもちゃんと書いてあるし、ガラスも(実物もプラだけど)入れてある。 ステアリングは前述のLS製マークUから。それ以外はキットのものを改造。 ステアリングコラムの上に生えているスイッチは、手前がハザード、奥がキー抜き取りロック解除用。 その横に見える黒い四角のは、「LO」とか「HI」とか書いてあるディマー操作用のシール。 |
助手席側から。 センターコンソールは形も大きさも全然違ったので作り直した。 ラジオのディティールが秀逸だが、これは確かアオシマの何かのキットから流用したので、ワタシの功ではない。 ライターだけでなく、エアコンの操作パネルの表示もちゃんとある。 ペダルはもちろんシートスライド用のレバーまで再現してあるのだが、生憎全然見えない。 (肉眼でもほとんど見えない…) |
ダメ押しは実車用の純正色の缶スプレーを使用したペイント。
実車用の塗料というのは、まあ当ったり前ですが基本的にホンモノのクルマに塗ることを前提として作られている訳で、そのため塗膜は厚く、硬く、強靭なモノなのだが、それをそのままモケーに使ってしまうと、細かい彫刻はみんな埋まってしまう、ボッテリしてしまってパーツははまらない、樹脂の表面を侵してチリメン模様にしてしまう、そのクセ不用意にボデーを曲げたりするとスチロール樹脂の柔軟さについて行けずあっけなく割れたり欠けたり…と何かと面倒な代物なのである。
とはいえ、純正色の微妙な色合いはプラカラーではなかなか出しにくい。何より「純正色」という響きには代え難い。プライマーから始めてサフェーサー、サフ砥ぎ、下塗り、中塗り、中砥ぎ、上塗り、クリア下塗り、クリア中砥ぎ、クリア上塗り、クリア砥ぎ出し、最終研磨、そしてワックス掛け…ノウハウをモノにするまでボデーを2つばかりオシャカにした。
因みにシャシーに嵌める際に欠けてしまった部分は、実車よろしくタッチアップペイントで修復した。
そして完成した1995年の夏、ワタシはこれを携えてあるイベントへ足を運ぶ。
晴海で開催された、第4回ジャパン・ファンタスティック・アート・コンベンション、略称“JAF-CONW”。
要は「モケーの同人即売会」とでも言おうか、アマチュア(と血気盛んなプロ)が自分で作ったモデルの複製を、イベント本部に当日のみの販売の版権取得を代行してもらい、販売しようというイベントである。そしてこのJAF-CONは、模型誌「ホビージャパン」が主催しているがゆえ、模型コンテストも同時に実施されるのである。
もともとこれに出すつもりで製作に着手したのか、それとも途中からこれを目標に据えたのかは今となっては記憶にない。
そして、出品の結果は、
ノンジャンル部門・金賞。
誰より一番驚いたのは出した本人である。コンテストは「ガンプラ」と「ノンジャンル」の2部門に分けられており、当然ガンプラじゃないのでノンジャンルに入る訳だが、逆にいえばこちらは「ガンプラ以外の全てのジャンル」なのであり、フィギュアから各種ロボット、飛行機、更に市販キットを使用していないガンプラまでもこちらに含まれることになる。当然、まったくのゼロから作ったフルスクラッチの作品も少なくない。そこで、散々つつき回したとはいえ基本は市販キットでしかないコレが金賞である。しかもこんな地味も地味、マイナーが固まってできたようなネタが。「ホンマにええんかいな?」というのが正直な気持ちであった。でも選ばれてしまったものは仕様がない(イヤなんかい)、ありがたく受賞させていただいた。ただしその後のドサクサに紛れて、参加賞は貰いはぐった。
賞の発表の前と後では、観衆の我が作品を観る眼が全然違ったのが印象的であり、何より誇らしく思ったのをよく憶えている。
余談だが、この後しばらくの間、モデル雑誌の作例で内装のスイッチやなんかを妙に書き込んだものが多かったりしたという噂も。